なぜ、宗教学を学ぶことにしたのか?

こんばんは。こちら(ルーヴェン@ベルギー)は3月15日(木)21:00です。私の部屋は寮の教会がある中庭に面しているので、21:00を知らせる鐘が、心なし昼間より控えめな音量で鳴り響いています。

今日は学部の祝日で授業がお休みだったので久々に投稿記事を書くことにしました。
そうなのです、私の大学では各学部の祝日があるのです。

さて、今日は少し真面目な話。「なぜ私は『より良い社会を模索する』という目的で、宗教学を学ぶのか?」について書きたいと思います。(興味がある人がいるのかは分かりませんが)

普通、「より良い社会のあり方について大学(院)で模索する」と言ったら、社会学部、政策学部、政治経済学部あたりが思い浮かぶかと推測します。(もちろん「より良い社会」というのはとても広いテーマですから、教育、医療、心理学その他色々なアプローチがありますが)

私は上記に対して、第一ステップとして宗教学を選びました。
なぜか?
それは、私の人生の転機となったスペインのサンティアゴ巡礼路体験と関係があります。

拙書『歩く旅の本 伊勢から熊野まで』の「終わりに」にも少し書きましたが、私はあのスペインの巡礼路を通して、「真に平和な世界とは、どういう状態なのか?」を垣間見ました。
それは平たくいうとジョン・レノンがイマジンで歌っている世界なのですが、私が巡礼路で体験したのはまさにそれでした。
具体的にいうと、道の上では、巡礼者たちは一人の人間同士として出会い、語り合い、笑い合う。そこには肌の色、年齢、宗教、バックグラウンド、社会的立場、収入、文化、言語の違いなどはほとんど関係ない。
そしてバックパックに背負えるだけの限られた荷物しかないにも関わらず、当たり前のように食べ物やバンドエイドなどを分かち合う。そこには”他人”が存在せず、みな、道を歩く巡礼者という仲間。だから初めて出会う人とも当たり前に挨拶をするから、孤独を感じることがない。
しかし、お互い、何かを抱えて”それぞれの道”を歩いていると分かっているから、変なしがらみはなく、お互いのペース、距離感を尊重し合う。過去を悔やみクヨクヨすることもなく、未来を思い煩うこともない。いま、ここ、に100%意識がフォーカスしている。今の自分であることに、ただ今日生きていることに、喜びを感じる。(半乾きのTシャツを着て歩くだけなのに!)
何者かになる必要はない。他人との比較もない。ただいまの自分であることに、幸せを感じる。
そんな世界でした。
「地上の楽園、地上の天国があるとしたら、この状態を言うのではないか?」
「真に平和な状態というのは、こう言う状態のことを言うのではないか?」
そう感じました。

平和学の父、ヨハン・ガルトゥング博士によると、平和には2つの種類があるそうです。
ネガティヴ・ピースとポジティヴ・ピース。
前者は、戦いのない状態。
後者は貧困、抑圧、差別などの構造的暴力のない状態を言うそうです。

この話を聞いた時、なるほど、と思いました。しかし私はポジティヴ・ピースのもう1段階上の平和があるように考えています。仮にそれを「第3の平和」と呼ぶとしますが、「ポジティヴ・ピース」が「第3の平和」(なんか怪しい表現!)になるためには、「Spiritual well-being」と言う要素が必要なのではないかと、私は自分の巡礼路体験から考えています。

実はこのことを思っていた時には、私はまだ「Spiritual well-being」という言葉を知りませんでした。何かそんなようなもの、とボワっと考えていました。
そんな時たまたま、素晴らしいヨガの本「引き寄せヨガ」と出会いました。

上記の本を読んだ時、実に図々しいのですが「私がスペインの巡礼路で体験したことが書いてある!」と衝撃を受けました。
そのようなインスピレーションを受けると速攻行動するタイプの私は、即そのヨガ教室に通い、即養成講座にも通いました笑。

そして養成講座の講義の中でヨガの先生から、WHO(世界保健機構)の健康の定義について教えていただき、衝撃を受けました。
というのは、実は1998年にWHOの健康の定義に改定案が出されており、その新しい定義の中では、人が真に健康な状態の定義として「スピリチュアル的に満たされていること」という要素が入っていたからです。

(具体的には次の4つ。
1)肉体的 (physical well-being)
2)精神的 (mental well-being)
3)スピリチュアル的 (spiritual well-being)
4)社会的 (social well-being)
詳しく知りたい方は「公益社団法人 日本WHO協会」ウェブに該当箇所日本語&英語全文掲載してあります)

上記の改善案は、まだ確定はされておらず、毎回議題にあがってはモニョモニョ・・・と決まらずに「まぁその話題はまた次の会議で」と回されているそうですが、とにかく、私は上記の話を聞いた時、「なんと完璧な説明!それだ、それこそが私が巡礼路で体験した『真に平和な状態』の要素を解明したものだ」と震えました。

ちなみに、分かりづらいであろう3)と4)を補足しますと、まず4)については要するに、人間というのは社会的動物であり、やはり群れ、コミュニティが必要だということだと思っています。確かマズローだったかが、「人間には所属の欲求がある」と言っていたかと思いますが、そういうことです。私の理解でいうと、「良い友達、家族(人間関係)がいて、経済的にも健全な状態で、社会に居場所があり、仕事や社会活動を通して自己実現しており、社会と自分が健全につながっている状態」です。それが「社会的な面で満たされていること。ソーシャル・ウェルビーイング」

さてそして問題の3)スピリチュアル・ウェルビーイングです。

これは説明するのはいまの私にはまだ難しいです。
ただ言えるのは、まず、私が巡礼路を歩いていた時、私にはスピリチュアル・ウェルビーイングがありました。
私や巡礼者仲間たちはよく「Camino always gives us what we need」(カミーノ(巡礼路)は、私たちに必要なものを必ず与えてくれる)と言っていました。
というのは、巡礼路を歩いていると本当に不思議なことというか、あまりにタイミングが良すぎることなどがよく起こるのです。
そして、どんなに困っても、なんともうまいことに、困ったことを解決する手段、情報、状況、などがベストタイミングでやってきて、結局、解決する、ということがよくあったのです。
また、それ以外にも、色々と「人智を超えている目に見えない力が働いているとしか考えられない!」ようなありがたいこと、不思議なこと、が、起こるのです。(それは私だけではなく、私の巡礼者仲間の多くも言っています)

巡礼路約1,000km、約2ヶ月間を通してこのようなことがしばしば起こるという体験を通して、私は、「この世界は困らないようにできている」「All is well.起こることはすべてベスト!最高、最善のことが、最適なタイミングで起きている。たとえ、その時はそうは見えなくても(思えなくても)」「私たちは、人智を超えた偉大なる何か(something great:神と呼ぶ人もいるだろうし、宇宙と呼ぶ人もいるだろうし、摂理と呼ぶ人もいるだろうし・・・)によって守られているから、何も心配しなくて大丈夫なんだ。そのように、この世界はできているんだ」と、強く確信しました。

よく、「巡礼路を歩いて何が一番変わりましたか?何が一番印象的でしたか?」と聞かれることがありますが、私にとって最大のことは、上記の確信を得たことです。
私はいまのところ、組織的ないわゆる「宗教」には、どこにも属していません。(どの宗教にも関心を持っており、敬意を持っていますが、メンバーとしては属していません)ですから、そんな私にfaith(信仰)という言葉を使うのがふさわしいのかは分かりませんが、私はサンティアゴ巡礼路を歩いた体験を通して、この宇宙(人智を超えた何か偉大なもの)に対して強いfaithをもちましたし、それによって、人生観が変わりました。
つまり、過去を悔やむ必要もないし、未来を不必要に恐れる必要もないと分かったからです。
それまでの私は、結構過去を後悔してくよくよしたり、自分を責めたり、将来の不安で悶絶したりしていました。
また、自分の体験から感じましたが、fear(恐れ)の反対言はfaith(信頼)だと思っています。
(辞書的なfaithの和訳は「信仰」ですが、私は日本語の「信仰」は人によっては少しバイアスがかかる場合があるし、やや組織宗教的な意味が強くなるので、私の言いたいfaithとは少し違っており、どちらかというともっと「信頼」に近い感覚です)

巡礼路を歩いているとよく分かりますが、人は、恐れがある時、ものを蓄えます。ですから一般的には、巡礼路を2回目、3回目に歩く人は、初めて歩く時よりぐっと荷物が減ります。
初めて歩く時は、一体どんな道なのか、どんな宿なのか、どんな日々なのか、まったく予想不可能なため、不安で、心配で仕方ないので、余計なものを色々詰め込んでしまうのです。「予備の〜」とか「いざという時の〜」とか「万が一の〜」グッズたち。
しかし、歩き始めてだいたい2週間くらいすると、巡礼路を歩く雰囲気も分かってきて、不安(=恐れ)がどんどんなくなるので、不要なもの、過剰なものを手放せるようになるので、荷物がどんどん少なくなり、本当にその人にとって必要十分な量に落ち着くのです。(荷物が少なくなる→巡礼宿にある「自由に持って行ってくださいボックス」に入れたり、郵送で送り返したり、捨てたりする)

繰り返しになりますが、人は、恐れがない時、必要以上を蓄えないと思うのです(基本的には)。
しかし、恐れ(不安)があると、備えとして、必要以上を持とうとすると思います。

もっとも、このことは私は巡礼路を歩く前から本で読んで知っていました。「恐れが問題の根源だ」ということは、私がいうまでもなく色々な本に書いてありますからね。

ただ、巡礼路を歩くまで私には、どうしたらその恐れ(不安)を手放せるのか分かりませんでした。
しかし巡礼路を歩いた体験を通して私は強いfaith(信頼)を持ち、その瞬間、恐れ(不安)が消えている、という体験をしました。それで思ったのです。恐れ(Fear)の反対は信頼(faith)だ、と。そして、恐れを手放そう、手放そう、とするのではなく、それは放っておいて、信頼(faith)を持てば、勝手に恐れは消えていくのだと分かりました。
なぜなら恐れと信頼は相反するものだから共存できないからです。コインの裏と表が共存できないように。昼と夜が同時にくることがないように。

ところで、ガンジーのこの名言はご存知の方も多いかと思います。
“The world has enough for everyone’s need, but not enough for everyone’s greed.”
「この世界には、全ての人の「必要」を満たすのに十分あるが、全ての人の「欲望」を満たすのに十分はない」
 確かにガンジーの言う通りだと思います。そして私はこう思うのです。
もし、我々ひとり、ひとりが、この世界(宇宙、something great)に対して、恐れがなくなるほど十分な信頼を持つようになれば、必要以上を蓄えなくなる。すなわち、ガンジーのいうように、すべての人々の「必要」を満たせるようになるのではないか?

・・・
だんだん話が長くなってきて、何が言いたいのか忘れてきましたけど(^^;
あぁ、そうだ、そう、それで、この「人智を超えた、何か偉大なもの(something great)に対するfaith(信頼)」というのが、人が真に幸せで、社会が真に平和な状態であるために大事なんじゃないか?と思っていたわけです。
しかし、そんなことを声を大にしていうと、「ヤバイ宗教にハマってる」とか「怪しい系?」と思われそう・・・と思って、堂々とは言っておりませんでした。(ですので、ラジオなどでお話するときにも、「faith」という言葉や「人智を超えたsomething greatへの信頼」などという言葉は使わず、もう少しマイルド(?)な表現で説明していました)

・・・というのが、ヨガの先生の説明を聞く前の状態だったわけです。
そんなときに、冒頭で説明した話をヨガの授業で聞いたものですから、「国連の一機関であるWHO世界保健機構が健康の定義に『スピリチュアル的に健全な状態であること(spiritual well-being)』を入れる案が20年前から出ていたですってー!?!?」と、衝撃を受けたわけです。

って、なんだかもう、巡礼路のように長い、長い道のり(文章)になってきましたけど。

要するにまとめると、私は自分が巡礼路で垣間見た「地上の楽園、真に平和な状態」を実現するために、『スピリチュアル的に健全な状態であること(spiritual well-being)』が実はキーポイントなのではないか?それと真剣に向き合うことが必要なのではないか?と思うに至ったわけです。

なぜか?
もちろん、社会的に健全であること、なども大事です。しかし!その分野はすでに政治経済、行政などで散々みなさん考えています。
ところが、私の持論では、いわゆるデカルトの近代合理主義以降、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」が切り離され、「目に見えない世界の話」が、やや軽視&厄介者扱い&アブナイ扱い&放置され、「目に見えるもの」(=物理的)なことばかりにフォーカスしていたのが、人類の最近の歴史なんじゃないでしょか?と考えているからです。

ゆえに、やや置き去りにされている部門(この10年〜15年でスピリチュアルブーム、精神世界ブームではありましたけれど、正当な学問的扱い&社会のソリューションを担う分野としてはやはりやや取り残され気味)である、『スピリチュアル的に健全な状態であること(spiritual well-being)』について真剣に向き合うことが、今後の社会を考える上で大事なのではないか?!と思ったわけです。

そう考えてみると、例えば数年前に流行った「自分探し」などは、要するにスピリチュアル・ウェルビーイングを求めている、と言うことだと思います。
また、年々サンティアゴ巡礼路を歩く人数が右肩上がりに増えているのも、私の理論では「自覚があるか、ないかには関わらず、スピリチュアル・ウェルビーイングを求めている人が増えているのだ」と見ています。

なお、そう考えているのは私だけではないようで、アメリカで(日本でも?)大変売れた本『人生を導く5つの目的』の著者であり、米国オバマ大統領の大統領就任式での祈祷も担当したリック・ウォレン牧師も、TEDでスピリチュアリティについて語っていらっしゃいました。
曰く、「いまこの世界を覆っているのはスピリチュアル・エンプティネス(空虚)という病だ」と。
(ご興味ある方はTEDの動画をどうぞ。日本語字幕つき。)
(※リック・ウォレン氏はキリスト教の牧師なので、TEDの話も書籍も当然ややキリスト教よりの話になっています。ただ、TEDに関してはキリスト教色は薄いのでキリスト教に馴染みのない方でも見やすいと思います。書籍の方は、キリスト教の牧師さんのお話、と言う感じです。書籍に関しては、私は共感するところもありますが、「ん〜。私は違う意見かな」と思うところもあります。)

話を戻しますと、つまり、カギはスピリチュアル・ウェルビーイングにあるのではないか。
しかしもちろん、スピリチュアル・ウェルビーイングだけが改善、向上すれば良いわけではなく、20年前のWHOの提案にあるようにそれを含めた4つの要素、特に「ソーシャル・ウェルビーイング」と「スピリチュアル・ウェルビーイング」がバランスよく統合された生活、社会であることが大切なのではないか、と考えています。

そして、では「ソーシャル・ウェルビーイング」について学ぶには、どうしたら良いのか?
それを他の目に見える世界のこと、つまり「肉体、精神、経済、会社、仕事、家庭、友達、食べ物、などなど・・・」と同じ土俵に載せて、バランスよく統合された状態をつくるにはどうしたらよいのか?を考えるには、どこからアプローチしたらよいのか?
と、考えた時に、「スピリチュアリティ=目に見えない分野=宗教にヒントがある?」と思い、宗教学を学ぶことにしたのであります。

しかし・・・(つづく  ←かは分からない)

と、果たして誰が興味あるのか、知りたいのかわかりませんが、「なぜ「より良い社会の模索」「未来の社会の方向を模索」をする目的で宗教学を勉強しようと思ったのか?」を書いてみました。

以上です!
はー長かった。そしてもう23時になるので、シャワー浴びて寝ます。

明日(金曜)は好きな授業の日なので楽しみです。
日本はもうそろそろ朝の7時ですね!
素敵な花金をお過ごしくださいませ💕

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