人間の計画と神の計画と、木曜日の飛行機

今日は朝一で最寄駅に行った。友人を見送りに。
日曜の夜から遊びに来ていたフランス人の友人は、本当は昨日の飛行機で帰る予定だった。(帰ると言うか、今度はカリブ海に行くのだけど)
しかし、昨日は高速道路で事故があったそうで、空港の直前で道路が封鎖されており、彼女は飛行機に乗り遅れたのである。
幸い、航空会社は無料で彼女に翌日(つまり今日)の飛行機チケットを手配してくれたそう。
「高速道路の封鎖の件は、私たちも把握しています」と言って。

それを聞いて少し驚いた。なぜって、私がいつも飛行機に乗る時は「公共交通機関の遅れによる場合は対応するけれど、自家用車による遅延は対応できない」という場合が多かったような気がするから。

兎にも角にも、そんなわけで、友人は疲れた顔で昨日の昼過ぎに戻ってきた。(私は昨日は用事があったので彼女を見送ることはできず。彼女の弟が、彼女を車で空港まで送った)

そんな彼女は今朝、「今日はなんとしても絶対に飛行機に乗る!」と言って、9時に部屋を出た。(飛行機の出発時間は13時半なので、3時間半前に空港に着く計算)
私は今日の朝なら彼女を見送ることができるので、(そして逆に今日だと彼女の弟は仕事があり、彼女を見送れないので)私が駅まで行ったと言う次第。

昨日の彼女は、思いがけぬトラブルで疲れ切っており、私の部屋に戻ってきたときには、「もうほんっとにハラハラ、イライラして、ストレスだった。とりあえずお茶を飲んで一休みする」と言っていた。しかし、よくよく聴いているうちに、「実は彼女はラッキーだったのではないか?」という気がしてきた。なぜなら、「本当は木曜日の飛行機に乗りたかったのよね。でも木曜のチケットは高かったから、少し値段の安い水曜のチケットにしたの」と言っていたから。つまり彼女は、安い水曜のチケット料金で、本来乗りたかった高い木曜日の飛行機に乗れることになったのである。
(もちろん、渋滞に巻き込まれ、空港でゴタゴタ交渉をし、引き返してくる、というのはとても疲れる&ストレスだったとは思うが)

それどころか、彼女の話を聴けば聴くほど「彼女は木曜の飛行機に乗る必要があったのではないか?」と感じた。
というのは、昨日彼女が空港に着いた時、実はまだ飛行機は離陸していなかったというのだ。
ではなぜ乗れなかったのか?それは、預入荷物があったから。
彼女が空港に着いた時、すでに預入荷物は飛行機に積み込まれ、お客さんが飛行機に乗り込んでいる最中だったらしい。
つまり、彼女は本当にタッチの差で乗れなかったのである。彼女がもし預入のスーツケースを持っておらず、機内持ち込みの手荷物だけだったら、乗れていたかもしれない。

これを聴いた時、「彼女は木曜日の飛行機に乗る必要があるのだろうな」と思った。どう言う理由かは分からないけれど。
例えば、もしかしたら彼女は、木曜日の飛行機に乗ったおかげで、運命の人に出会うのかもしれない。あるいは、生涯の親友となる人に出会うのかもしれない。

『スライディング・ドア』という映画が、確かそんな感じの物語だった。
ずいぶん前に観たので細かな内容は忘れてしまったけれど、タイトルの通り、「電車のドアにギリギリセーフで乗れた場合」と、「ギリギリセーフで乗れなかった場合」の2パターンが繰り広げらる。
しかも、そのたった一瞬の違いで、その後の人生がまったく変わってしまう、というストーリーだった(と思う)。

画像1

人間の計画と神の計画

20代の頃に読んだ本に、「この世界には、”人間の計画”と”神の計画”の2つの計画がある」という話が書いてあった。
どんな話かと言うと、
「人間の計画と神の計画が相反する場合には、必ず神の計画が勝つ。なぜなら、人間より高い視点である”神の視点”からは、”人間の視点”では見えないところまで見えるから。
だから、『このまま行ったら危険』、『このままだと、この人の魂の道を大きく外れてしまう』という時、神は優しいので、その人を守るために、”人間の計画”をぶち壊し、”神の計画”の軌道から外れないようにしてくれる。
しかし、人間には神の視点が理解できないので、『失敗した!』『悪いことが起きた!』と考える。でも本当はそれは『失敗』でも『災難』でもなく、より上の視点から見た時、その人にとっての最高、最善の道へ行くように導かれているだけなのである」
と言う内容。

この話を読んだのは、大学を卒業して間もない頃。
当時の私は、就職活動に惨敗し、やっと入れた会社は今で言う超ブラック企業で、「なぜこんなにも私の人生はうまく行かないのか?一体どうしたら、この状況から抜け出せるのか?」と、もがき苦しんでいた。そんな私にとって、この考え方はとても心に響いた。
それ以来、人間レベルの私にとって、思い通りにならない(あるいは思ってもみなかった)ことが起こる度に、何百回、いや、何千回、何万回と思い出し、励まされてきた。
あの本を読んでからすでに20年近い年月が経ち、その間、実に色々なことがあった。そうして今、私は心の底から確信を持っている。
あの本に書いてあったことは真実だと。
(ちなみに、本には「神の計画」と書いてあったけれど、「神」と言う言葉に違和感を感じる場合は、「天」とか「サムシング・グレート」とか、「人智を超えた何か」など、自分にしっくりくる表現に置き換えると良い。)

まったく昔の人達は賢いなぁと思うけれど、要するにこれは『人間万事塞翁が馬』ということである。一言で言うと。

このような人生哲学を持っている私にとって、友人の「飛行機に乗り遅れた事件」は、「神の計画によって、木曜日の飛行機に乗るように導かれた」としか見えない。

彼女は今、機上の人なわけだが、果たして、飛行機の中で今頃どんな出会いを体験しているのだろう?あるいは、飛行機から降りた後、どんな展開が彼女を待っているのだろう?
数日後か、あるいは数年後か。彼女から、「あの時、飛行機に乗り遅れたでしょ?実はそのおかげで・・・」という話を聴くことになる気がする。