アムステルダムにあるゴッホ美術館には、世界で一番多くのゴッホ作品がある。
200点以上の油絵、500点の素描、800通以上の手紙が所蔵されているほか、彼が使っていたパレットや絵の具、筆などの所持品も展示されている。
油絵は『ひまわり』を筆頭に、『花咲くアーモンドの枝』『ジャガイモを食べる人々』『ファン・ゴッホの寝室』など、教科書やTVで見たことがあるようなゴッホの代表作をいくつも観ることができる。日本の浮世絵を模写した『雨の大橋、広重作品模写』があるのもこの美術館。
人並みに、あるいは、もしかしたらそれよりちょこっと多めにゴッホが好きな私は、いつかゴッホ美術館に行きたいと願っていた。
それが叶ったのは、オランダに移住した2021年秋のこと。まだ移住のアレコレが落ち着いていないにも関わらず、「気分転換」と、誰にしているのか分からない言い訳をし、アムステルダムに向かった。
美術館に入ると、入り口すぐの薄暗いホールは自画像コーナーとなっており、まるで玄関でゴッホが迎えてくれるかのように、ゴッホが描いた”何人”ものゴッホたちと対面した。
憂いたような、悩んでいるような、深く、鋭い彼の瞳を見つめると、一気に彼の世界に引き込まれる。
雑誌やテレビで見て知っていた絵でも、やっぱり本物の迫力は違う。「こんなにたくさんのゴッホの絵に囲まれるなんて、なんて幸せなのだろう!」絵を観ては感動を噛み締め、少し休んで、また絵と向き合う。
そんなふうにして半日近く居座って味わい尽くした初めてのゴッホ美術館訪問。そのとき私の心に一番残った展示物は、実は彼が描いた作品ではなかった。
私が一番心動かされたもの、それは、毛糸。
私は「ゴッホの毛糸」と呼んでいるのだけど、赤い木の箱に収められた色とりどりの毛糸玉で、ゴッホが色彩の効果を研究するために使っていたものだ。
「ゴッホの絵」と聞いて多くの人がイメージするのは、たぶん、独特の力強いタッチと色鮮やかな絵だと思う。私もその一人なのだけど、正直、それまでの私は、ゴッホは天才だから色彩感覚が抜群で、天然で何となくあのような絵を描けたのだと思っていた。
しかし、事実はそうではなかった。
この木箱に大切にしまわれた毛糸玉を見た時、貧しい一人の画家が、手に入るささやかな道具を使って、新しい表現、新しい色を求め、純粋に、健気に、そして情熱的に試行錯誤をする姿が目に浮かび、心を打たれた。
ゴッホが評価されている現代に生きる私が「ゴッホは天才だから」なんて言うのは簡単だけれど、生前一枚も絵が売れなかったゴッホ自身は、自分のことを天才だなんて思っていなかっただろう。
才能があろうがなかろうが、描かずにいられないから描く。
絵が一枚も売れなくても、家賃が払えなくても、それでも、描くことへの情熱を捨てられないから描く。
自分が描きたい絵を表現するため、ただひたすらにコツコツと。
毎日、毎日、描き続ける。
「ゴッホの毛糸」を観ていると、そんな、純粋な真っ直ぐのエネルギーが伝わってくる。
初めてゴッホ美術館に行った日から今日まで、もう何度もゴッホ美術館に足を運んでいるけれど、いまでもやっぱり、「ゴッホの毛糸」は私のお気に入りの展示物だ。
普段の生活の中で、やりたいことはあるものの、自分のスキルの無さに匙を投げたくなる時。「もっと才能があったら」と言い訳しそうになる時。
私はいつも「ゴッホの毛糸」を思い出す。
追記:西日本新聞のゴッホの記事が秀逸。とても興味深かったのでシェア。
【復刻連載】ゴッホの絵の画面は、なぜあれほど輝いているのか