今受けているNVC(非暴力コミュニケーション)のクラスでは、授業の最初に必ず、自分と繋がるためのワークをする。ワークの方法は幾つかあるのだけど、一番簡単でよく使うのが、「How am I ?(調子はどう?)」と自分に訊いてあげるというもの。
これを習ってハッとしたのが、普段いかに自分の調子に意識を向けていないかということ。自分以外の人に対しては、自動反応的に意識を向けているにも関わらず。
例えば先日、日本から遊びに来た友人とその息子さんと一緒にテーマパークに行った時のこと。
私は彼女たちに対して、「暑すぎないかな?」「喉乾いてないかな?」「疲れてないかな?」「トイレは大丈夫かな?」「お腹空いてないかな?」「次は何に乗りたい気分なのかな?」と、当たり前のように「How are you? (調子はどう?)」の意識を向けまくっていた。もちろん、言葉でも「暑くない?大丈夫?どんな気分?ちょっと休憩したい感じ?」などと声をかけていた。
しかしその一方で、自分自身に対してはほとんど全く、意識を向けていなかった。
この日1日だけを見たら、大して疲れず楽しく過ごしたから別に問題はない。しかし、いわゆる
- 過労で倒れてしまったり、
- イライラを我慢しすぎて爆発してしまったり、
- ミッドライフクライシスで自分が何のために生きているのか分からなくなったり、
- 親や周囲の期待に応えてばかりで、自分が本当にどうしたいのか、自分の本音がわからなくなる、
などの現象は、常日頃「How am I ?」と自分に意識を向けてあげず、「自分が感じていること」「自分の本当の気持ち」に気付いてあげないこと(自分に意識を向ける習慣がないこと)が原因なのだと思った。
「How am I(調子どう) ?」と自分に意識を向けることは、自分への愛
「自分を愛する」とか「自分を大切にする」「自分と繋がる」「自分の本音を聴く」と言うと、なんだか難しく感じられ、どうやったら良いか分からないと思ってしまう。(少なくとも昔の私は、そう感じていた。)
しかし、実はそんなに難しいことではなくて、まずは「How am I ?(調子どう?)」と自分に訊いてあげることから始まるのだと思う。
十分にゆっくりと時間を取り、自分の体感覚や内側の感覚を感じること。
そこに何があるのか、気づくこと。
そして、出てきたもの(感じるもの、自分の内側にあるもの)に対して、裁かないこと。つまり、調子が悪くてもいいし、何か心配事があってもいい。少しイライラしているなど、一般的に「ネガティブ」と言われる状態であっても良い。
そんなふうに、
1)自分に意識を向け、
2)いまの自分の状態に気づき、
3)裁くことなく丸ごと受け止める(=認識する、気づく)。
それは、自分を愛する(大切にする)ことであり、自分自身との繋がりを取り戻す行為である。
なぜ巡礼路を歩いていると、自分自身と繋がりやすいのか?
それで思い出すのが、サンティアゴ巡礼路(やその他のロングトレイル)を歩いていた時のこと。
歩いている時の私は、自分自身と強く繋がり、宇宙というか、大自然の摂理というか、何か大いなるものとの調和の中に生きている、と強く感じながら過ごしている。
そのおかげだと思うが、物事がスムーズに運び、「カミーノマジック」と巡礼者たちが呼ぶ、奇跡のような体験をいくつもした。(「カミーノマジック」については今日の話から逸れるので置いておく。)
「歩いている時、なぜそのように強く自分自身と繋がれていたんだろう?」と考えてみて気づくのは、歩いている時はいつも自然に、「How am I?(調子どう?)」の意識を自分に対して向けているということ。
10kg強の荷物を背負い、毎日20〜30km歩き続けるにはやはり、常に自分の状態に意識を向ける必要がある。
「ここで休憩したい?それとも、もう少し先まで歩ける?歩きたい?」
「お腹はいま、どのくらい空いているかな?もう少し我慢できる?それともナッツかなんか、ちょっとつまんでおく?」
そんな感じで、常に自分に対して「How am I ? (調子どう?今どんな感じ?)」の意識を向けていた。だから、あの道を歩いている時には、かつてないほど強く自分自身と繋がることができ、自分の本音を容易にキャッチできたのだと思う。
「How am I ?(調子はどう?いま、どんな気分?)」
普段の生活ではよほど意識しない限り、なかなかしない質問。
他人に訊くのと同じくらい、いやそれ以上に、自分に対して頻繁に訊いてあげよう。